ブエノスアイレスの観光地では、路上パフォーマーがタンゴを踊っている姿をよく目にします。タンゴは国民誰もが知る「象徴」ですが、実は日常的に親しむ音楽ではありません。 例えるなら、日本舞踊や歌舞伎のような国の代表的な伝統文化です。少し違うのは、タンゴは鑑賞物にとどまらず、街のミロンガなど踊る場所を持っていることです。ただ、ミロンガで踊れる国民は多数派ではなく、基本ステップを踊れる人、まったく踊れない人も多くいます。では、音楽とともに生きる彼らのより身近な音楽とは、どんなものでしょうか。音楽は国境を越え、スペイン語圏では特に共有されているものがたくさんありますが、今回はアルゼンチン生まれの、もしくは他国から取り入れアルゼンチンで発展した音楽を中心にその多様な文化を紐解いてみます。
長い間、内陸や北部で特に親しまれてきたのが、「フォルクローレ(Folklore)」です。雄大な大地とそこで生きる民衆の感情と闘いを表している曲が多く、アルゼンチンの大地に根ざしたルーツのような位置づけです。フェスティバルや酒場、学校行事、アサードで人々が集った際などに踊られる、日本の盆踊りのように身近な存在です。地域によりチャマメやチャカレーラ、サーンバ(Zamba)など少しずつ色を変え、ケーナという縦笛やボンボという太鼓の重低音、ギターに乗せて大自然への敬畏や故郷への愛を表します。1月にはコルドバ州コスキンでアルゼンチン最大のフォルクローレ祭が開催されます。日本でも、 毎年10月に福島県で日本最大のアルゼンチンフォルクローレ音楽祭「コスキン・エン・ハポン」が開催されます。
ブエノスアイレスでは、よりカジュアルでテンポの速い大衆音楽が好まれてきました。欧米の影響を受け、1980年前後から流行りはじめたのが、「ロック・ナシオナル(Rock Nacional)」です。時々見られるロックをペアで踊る姿は、なんともかっこいいものです。歌詞には、独裁政権やマルビナス(フォークランド)戦争に対する想いをのせるものも多くありました。その切実な思いと反抗の言葉は、現代の経済不安の下に生きる若者にも共感を生み、大きな影響を与えています。
他にも、コルドバ発祥の跳ねるようなステップが楽しい「クアルテート(Cuarteto)」や、過酷なスラムの現実と生命力を響かせるようになった「クンビア(Cumbia )」も大衆音楽の代表といえるでしょう。最近では、ブエノスアイレスの公園のフリースタイル・ラップバトルが始まりの「アルゼンチン・トラップ/アーバン・ミュージック」が世界チャートに数多く上っています。
哀愁漂うタンゴ、アンデスを渡る風のようなフォルクローレ、そして若者たちの反骨と情熱が渦巻くロックやアップテンポのクアルテート、クンビア、トラップ。音楽のそばにあるのは、洒落たワイングラスではなく、食器棚から出てくる日常使いの素朴で分厚いコップに注がれたワインです。多彩な音楽を、アルゼンチン流の飾らないワインの楽しみ方とともに、その魂の響きに耳を澄ませてみてはいかがでしょうか。グラスの向こうに広がる、どこまでも熱く豊かなテロワールを、いつもとは違う角度から感じてみませんか。